辰夫の武道に対する考えです(その1)  

こんにちは! 武道論を掲げられるほどの豊富な実践や研究ができていないのでアマチュアの一空手愛好家の意見として読んでください。

あなたはなぜ空手を始める(始めた)のですか?

その理由は、人それぞれでしょう。

特に最近は幼児から空手や拳法の道場に通っている状況ですから、私が空手を始めた当時の「空手は女や子供のするものではない」という時代とは格段に違った目的意識を持って空手を始めている人が多いことと思います。

子供の場合は本人の目的意識は希薄で、保護者の方が強い期待を持たれているかもしれません。最近、子供のしつけは親の責任ということが随分話題になっていますが、少子化の中で親は如何にあるべきか、大人はどうあるべきか等々このHPで意見交換できることを期待しています。

少し話はそれましたが、これから私自身がどのような気持ちで空手道や日本拳法、テコンドーの練習をしてきたのか振り返りながら、現在の私の空手道論になればと思います。そもそも、私が空手を始めようと思ったのは、喧嘩に強くなりたいと思ったからです。それまで私は自分に自信を持っていませんでした。自信も無いのに強がっていました。

だから、自分に自信を持ちたかったのだと思います。その最もわかりやすい方法として闘いにおける強さに憧れていました。少年が超人的な強さを持つ正義のヒーローに憧れるように……。そして、とにかく強くなるために稽古を続けました。道場の稽古は勿論休まずそれ以外も毎日練習していました。「目標とする力士はいない。人の3倍の稽古をするのが目標です。」という当時の横綱大鵬の言葉を励みに……。

とにかく強くなりたくて、道を歩いていても「もしアイツが殴りかかってきたらこうしよう…」、トイレに入っていても「もしここで襲われたらどうしよう?まず小便をかけてひるんだ隙に……」とか、食事をしていても「この割り箸は使える」、駅で電車を待っていても「どこに背中を向けると安全か」等々、自分の身を守るにはどうすればよいかということを常に考え、周囲に注意を払っていました。生徒であっても私の後ろに着くことは嫌っていました 。

異常と思われるかもしれませんが、常に闘いの場面ばかりを想定していました。しかし、それが役に立ったこともあったのです。その逆のときもありましたが……。

空手をやっていて喧嘩に勝てないようじゃ情けない。自分の身を守れない空手に何の意味があるのか?もっと組手をして、早く1日も早く強くなりたいという気持ちで過ごしていました。これは、私の道場の諸先輩方やキックの鬼の沢村忠氏や空手バカ一代の大山倍達氏の影響であると思います。空手の命は組手だ。形試合は空手の試合じゃない。

という意識でやってきましたが………。1つ目のテーマですがどうですか?