辰夫の武道に対する考えです(その4)   形試合について@

武道論3を書いてから随分と日が過ぎてしまいました。振り返ると稚拙な表現が多く、恥ずかしい思いですが、身の丈の文を思いつくままに書いていこうと思います。形試合について、書くことになっていましたので現在の考えを述べたいと思います。

形試合には個人形競技と団体形競技がありますが、団体形競技は個人競技の空手にありがちな独りよがりで、自己中心的な行動を補うために教育的な意義が大きいと思います。チームワークを大切に行動する事は、相手を尊重するスポーツマンシップ、武道精神の根幹だと思います。

最近の世界大会ではアクロバティックな動きがないと上位入賞は出来ないようで、宙返りをしている日本選手もいますが、格闘技として戦う場合に宙返りをする必要があるでしょうか?つまり、現在の形競技においては形の中の動作について想像をめぐらせ、いろいろな解釈をして披露する競技になっているのです。

より多くの人に爽やかな感動を与えられるものが淘汰されて残っていくのだと思いますが、少なくとも護身術的な格闘技からは完全に乖離し演舞競技の1つになったのだと思います。本来、空手の形は、空手の技の修練のためのものであり、観衆の眼を意識した動きではないものです。護身術的な動きと見栄えの良い動きとは立ち方においても根本的に異なるものです。競技として成立させるために、空手を知らない観衆が見ても優劣が判別しやすいものを主催者は考えていくものだと思うので、世界の流れは当然進むべき方向に進んでいるのです。

ところが、日本国内では空手の伝統的な形の意味を守りつつ競技を行おうとしています。これは大変無理な事をしているとしか思えません。長く空手を修練したものだけがわかる形試合をしていて、フィギュアスケートや体操競技など経験していない人たちをも魅了するものになるでしょうか。ほんの数年、空手を経験した人ぐらいでは容易に理解できない奥深い空手の形を競技する事はできません。

今、実施されている形試合は、一部を除いて、空手の「カタチ」しか知らない選手が演舞をし、形の意味も優劣も判断できない観客が勝敗だけの一点において拍手を送る状況になっているといっても過言ではないと思います。この奇妙な光景を打破したいと思って、主催者は新しい工夫を始めたのだと思います。つまり、本来の空手の形の意味に捉われず、観客を魅了できる形試合のあり方を考え出したのだと思います。

この当然の流れを予想して、数十年前に空手の形試合を採用するかどうか論議となったときに、正派糸東流正氣会初代宗家渡辺勝先生たちは強く反対されたそうです。しかし、形試合は採用され、様々な賛否両論がある中で今日まで継続して実施されてきました。形試合の初期は、真剣に形試合のために稽古する選手も無く、はっきり言って組手で充分に活躍できないから形試合に出場するという感じの人が多かった思います。形試合に勝ってもほとんど空手仲間からは評価されないのが現状でした。この風潮は今も大きくは変わっていないと思います。

しかし、形試合の採用は空手愛好家の数を爆発的に増加させたかもしれないと思うことがあります。というのは、形試合をみて「かっこいい。」「自分もかっこよく形ができるようになりたい。」という動機で空手を始める女性や子供たちが出てきたからです。
  空手人口を増加させた功績は大ですが、空手の本質を見失わせた罪過もまた大であると思います。最近は形試合のために練習をする選手も多く、形試合と組手試合に選手が分かれて稽古することも普通になってきています。空手において形と組手は車の両輪ですといわれますが、現実は一方しかできない全日本クラスの選手もいるのではないでしょうか。

そろそろ、私の考えをまとめたいと思います。形は、空手の技の修練のための基本だと思います。稽古することにより空手の幅が広がり、技の向上にもつながると思います。しかし、競技するのはあくまでも初心者のレベルのものであろうと思います。冒頭にも述べているように団体形はチームワークを養う意義があると思いますが、個人形については、以下の点において競技する必要はないと思います。

  1. 仮想の敵を相手に護身の動きが形の動きであるが、相手の動きに関係なく自身の呼吸のみで反撃しており、護身術として有効な動きではない。

  2. 空手の技としてアピールしているわけであるが、現実には空気に対して突き蹴りを放ち、現実の物体に対してどれだけの有効性があるのか極めてあいまいである。

  3. 仮想の敵に対して、空手の威力を誇示する事を演じることは、自己の真の姿を隠し観衆に対し、空手の技として有効であるように見せるための技量を競うことになる。

 つまり、正々堂々と体力の限り力を出しあって競技するというより、演じる部分が多くなり、俗っぽく言えば『強そうな振りはどちらの方が上手か?』というわけの分からな い競技になるのではないだろうか。もうすでにそうなっていると思います。

形試合に出場する選手も、試合に勝つために毎日毎日、身体のあちこちを痛めながら練習しています。国体や全日本大会のベスト8などは甲乙つけがたいほどよく稽古したことがわかるほど素晴らしい形を見せてくれます。しかし、あくまで演舞でしかないと思います。

 『力強く見える』『強そうに見える』見せるために、化粧のあり方まで考えて試合に臨まなければ勝てないという空手の試合に何を求めているのでしょう。もうそれは、空手でなくてもいいのではないですか。ダンスでもスケートでも体操でも他にいろいろと見せる競技は数多くあると思います。空手に『強そうに見せる競技』が必要だとは思いません。

踊りなら優雅な日本舞踊もあるのだから・・・。

 最後に、空手の形競技を絶対に認めないといっているのではありません。現在の形試合のあり方は良くないと思うのです。今さら、数十年前から始まっている競技を廃止するわけにも行きません。競技とするために、観衆が優劣を判断しやすい内容にするべきだと思うのです(これは組手に対しても同じ思いですが)。まず、少なくとも独りきりで演じる試合はなくすべきでしょう。最低2人以上で約束組手(攻防の技を出し合う)を演じる形試合の方が、相手との連携をはかるために稽古も一層意義あるものになると思います。

全国にいる形試合のために日々稽古に励んでいる選手の皆さん、勝つための努力は大変だと思います。身体を痛めないように気をつけてください。力は程々でいいのです。