辰夫の武道に対する考えです(その5)   形試合についてA

2012.11.15執筆

 武道論4で、形試合は不要であると述べました。そのことについてもう少し付け加えたいと思います。

 私が学んだ正派糸東流空手道正氣会の渡邊勝宗家は糸東流創始者摩文仁賢和先生の道場筆頭師範として活動され、一派を興すに当たり「正派」と名乗ることを許可されました。

 日本拳法創始者の澤山宗海(勝)先生も摩文仁賢和先生の道場で師範をされていたと聞きおよびます。

 渡邊勝先生のご指導の中で特に記憶に残っているものは

 「流派は形にあり、組手に流派なし」

 「形は正しく、実戦は別物」

 「形の分解は様々、最も理にかなったものが良い」などです。

 澤山宗海先生は、当時の形稽古は実戦の役に立たないと喝破され日本拳法を創始されました。「形稽古は実戦の役に立たない」については、宇城氏・新垣氏・檜垣氏等々多くの空手家たちが異論を唱え形は実戦に使えると形分解をされています。これらは素晴らしい発表ですが、それは代々伝承されてきたものではなく、多くは各氏の研鑽によって導き出されたものです。

 平安の形は、学校体育として指導するために創作された形であり、武術的な形ではありません。特に平安参段の形の最後の動作の解釈を後方から抱きつかれたときの対処法として「左(右)に移動して左(右)の肘当て右(左)拳の上段突き」というように摩文仁賢和先生の『空手拳法書』に注意事項として書かれています。

 実際にこの動作を行った場合、左に移動して右肘当てが武術的には自然であり、左に移動して左肘当て右拳で突きにはかなり無理があります。ということは、摩文仁先生があえて体操的に解説をされ本来の空手術を明かさないように意図されたものでしょう。

 また、形の解釈の中で2度受けがあります(中には両手で同時受けも出てきますが・・・)。相手が突いてきた拳を受けて反撃しようとしたが、相手の2の拳が速くさらに受けてから反撃するという記述です。

 これは拳の理に合いません。これらは何を意味しているのでしょうか。形の解釈はいろいろできますが、拳法の理合に矛盾していないことが大切です(沖縄の秘技を易々とは教えられないという思惑は十分に想像できます)。

 『受即攻』が理想の動きです。合気道の動きが理想だと思います。それに比べて試合で演じている空手の形はあまりにも空手の理想の動きから乖離してしまいました。

 澤山先生は実戦に使える形稽古が必要であると提唱されて、日本拳法を創設されました。

 もともと空手の形は空手の技を体得するための基本となるもので、その後に続く組手稽古があってはじめて空手術と呼べるものになるのです。いくら強い突きや蹴りを発しても相手との距離や技のタイミングが適切でなければまったく役に立ちません。

 糸東流の創始者摩文仁賢和先生も空手は形稽古の後、組手の稽古にて有用な技にする事を警告されています。形のできばえを競うことは華法に流れることになると強く戒めておられました。また、他流派の空手を学ぶことも奨励しておられました。他流派を学ぶことによって自流の良きところと不足するところが判るということでした。

 しかし、創始者の教えを守らず、自流のみを最上として広く研鑽することを怠った指導者が多いことが今の日本の空手道を弱くしている元凶であると確信します。

 その例を一つ紹介します。今から三十数年前、私は正氣会の諸先生方とハワイの国際空手道連盟創設者である小高忠三先生を訪問しました。小高先生は連合会の覇者として単身ハワイに渡り空手道の普及に尽力されていました。

 当時、日本からの訪問者はそれほど多くはありませんでしたが、小高先生の門下生が世界大会で男女組手選手が連覇および複数回の優勝を果たしたことから日本空手界の注目を浴びるようになりました。

 当時のハワイ州オープン空手道大会を見学して驚いたことがたくさんありました。世界連盟の試合規定に則りながらも若干運用が異なっていました。@中段攻撃は相当の威力がないと得点にならない。
A上段の防具の着用は自由 
B中国拳法およびテコンドーの選手も数多く参加
等々でした。

 一番驚いたのは、寸止め空手の選手だけではなく極真の選手・カンフー・テコンドー等の選手が出場していたことです。日本ではその後に東京代々木体育館で国際硬式空手道オープン選手権大会では、極真・日本拳法・少林寺拳法・寸止め・寸止め以外の空手選手等々が参加できた画期的な大会が開催されたのですが、その後の日本空手界は残念ながら一層セクト的になってしまいました。やはり大きな組織が変わらなければ日本の空手界の発展は難しいと思います。

 日本ほどの空手人口を有する地域は他にないと思います。小学生から大学生までの経験と練習環境を考えても世界を圧倒しています。にもかかわらず国際大会では形で勝てても組手ではなかなか勝てない。ジュニア・カデットなどの大会で勝てるのは当然でしょう。

 日本のように空手ばかりをしている選手は少ないのですから季節によってさまざまなスポーツを経験し、空手道は単なるスポーツして取り組むのではなく護身術あるいは精神性を重んじた武道として稽古する姿勢を見ると日本の選手はぬるま湯に浸かった稽古をしている感があります。

 因みにハワイ連盟では子どもでさえその稽古のときの目付きは真剣で一つ一つの技を全力で稽古していました。日本において普段の稽古からあのような真剣な眼差しで稽古している子どもたちがどのくらいいるでしょうか。

 自流の空手について真に研鑽するのであれば、他の流派や格闘技と交流をして自分の不足している部分を補う努力が必要でしょう。日本のナショナルチームが他国で空手道の組手指導を受けるということは日本の怠慢だと思います。 

 形試合によって、幼児から高齢者まで空手を楽しめる功績は大ですが、普及したが故に幼児から試合での勝利をめざす風潮を空手道指導者は戒めなければいけません。

 生死を賭けた戦いでは結果が最優先されるかも知れませんが、結果よりも過程を重要とするものが武道ではないでしょうか。『勝てば官軍』的な価値観のもとで活動するものは武道ではないとおもいます。

 スポーツと武道の違いは何でしょう?空手は武道のはずです。

 では競技空手は武道でしょうか?スポーツでしょうか?

 私は「空手は武道だ」と思います。「空手は武道だから価値がある」と思います。

 ではスポーツとはどんなものでしょうか。現在、日本体育協会がフェアプレー宣言を推奨しています。フェアプレーとは何でしょうか。競技ルールを守ることではないといわれています。私は、武道の精神はフェアプレー宣言を超えるものだと思っています。

これについては次回に記しますが、以下に例を紹介しておきます。

@1988年第19回全国中学生サッカー大会に参加した選手への調査報告から

質問「時と場合によってはファウルをしてもよいか」
 回答 
  そう思う65.2%
  わからない18.7%
  そう思わない16.1%

質問「勝つためにはファウルをすることも必要であるか」
 回答 
  そう思う46.5%  
  わからない26.9%  
  そう思わない26.6%

質問「ファウルは審判に見つからないようにやるべきであるか」
 回答 
  そう思う24.9%  
  からない25.8%  
  そう思わない49.3%

24年前でこの結果です。現在はどうでしょうか。

A某空手道団体の大会において大会規約の一部「小学5年生以上は黒帯にて出場する」の解釈のしかたについて
「小学4年生までは自由である。黒帯で出場する方が試合には有利だから黒帯でない選手も黒帯で出場させる」という指導者。
「小学4年生までは自由でしょう。」と答える大会責任者。

B某所での形稽古を見て

質問「なぜその動きはゆっくりとするのですか」
 回答「その方が形に重みができて見栄えがするからです」

C今年のパラリンピックでの某競技
 作戦「残り時間はわずか、そのままボールを制限時間までキープして勝利 を得る」
 結果「競技終了の合図で日本チームの勝利」

また書きます。
小林辰夫