辰夫の武道に対する考えです(その8)   日本武道とオリンピックについて

 

 レスリングがオリンピック競技から外れて大騒ぎになっています。復活のために世界組織で活動をしているようですね。

 もともと、テコンドーや近代五種がオリンピック競技から外れる予想だったが、それを知った関係者が存続活動を展開して競技の存続が叶ったというのが大方の見方であり事実だと思います。

 テコンドーは空手道よりも後発の競技ですが、あっと言う間にオリンピック競技になりました。だから毎年ルールの改正を図りオリンピック競技として何が必要か常に考えて活動しています。国際大会は勿論のこと、日本国内においても数年前から電子防具による試合が実施されています。人間の眼ではあまりにも誤審が多いからです。翻って空手道の試合ほど誤審のオンパレード競技は他に無いでしょう。一生懸命稽古しても勝てるかどうか時の運が大きく審判の運しだいという競技のまま放置している現状の空手道競技・・・。

 2020年東京オリンピックが実現すれば空手道が競技として採用されることが決まっているようです。嬉しいような悲しいような・・・やはり喜びの方が大きいです。それは、オリンピックがスポーツの祭典として日本では大きな関心を集める行事だからでしょう。オリンピックに興味を示さない国においてはオリンピック選手であるかどうかに大きな意味はないでしょうけど、日本ではオリンピック選手、特にメダリストに成るかどうかはとても大きな意義があります。生活が一変する人もいるでしょう。俳優になったり政治屋になったり大きな富や社会的地位を得られる存在になります。だから大きな問題なのです。

 私は、空手が好きです。だから空手がオリンピック競技になって多くの人が空手を楽しむことを望んでいます。そして空手から空手道に発展し、友好的な社会関係を求める人間がもっと多くなることを期待しています。ですから空手道競技はもっと完成された競技になってほしいのです。曖昧な人の視覚だけに頼った判定では無理なのです。競技として完成度を高めたいのならばルールも判定基準ももっと飛躍的に進歩するはずです。連盟指定の安全具を着けて怪我をしても何の保障もしないことに後ろめたさを感じることが許されない、あるいは何も感じなくなった組織では期待する方が無理かも知れませんが・・・。

 しかし、昔から外圧に弱い体質ですから世界連盟からの要請でどんどんルール改正が進むと予想されます。今年もルール改正の講習会が各地で開催されています。その講習会の中で、「きっと近々ルール改正があるでしょう・・・」という指摘があるほど今度のルール改正にも矛盾が多いのです。

 それが解っているのに、なぜそんな完成度の低いルールを日本で採用するのか・・・情けないことです。全日本大会組手優勝経験者が組織の中心にほとんどいないという不思議な組織、全日本大会も国体も連覇(組手)した男性が公認四段に合格しないで、大人と子供ほどに技量の劣る女性が七段位では矛盾を感じるでしょう。形は今一だが食べたら絶品の味の餅よりも絵に描いた旨そうに見えるけど食えない餅の方が旨いというならその判断基準に失望するでしょう。

 だから、現在の日本選手が外国選手の憧れでなくなった状況はしかたがないと思います。それは日本選手の空手が弱いのだから・・・。日本で活動している優秀な空手道愛好家を大切にしないツケが回っている気がします(内○君や国○君なんかは素晴らしい技量を持った人ですのに・・・)。中身よりも肩書きばかりを欲しがる連中が中枢にいては日本丸の行く末は明るくないなあ。

おっとっと、またまた脱線しました。

 空手道がオリンピック競技になれば、もっと客観的に判断できる方法を採用しなければならなくなるので嬉しいです。素晴らしい選手に拍手を送りたい。それが日本選手であれば喜びが大きいです。そして勝敗を超えた武道競技の姿を多くの人に見せてもらいたいと願っています。 

 レスリング選手はオリンピック競技から外れただけで、なぜあんなに落胆するのでしょうか。もうレスリングをする目標が無いと発言していた選手もいました。オリンピックこそが最大の目標というのがレスリングなのでしょうか。

  そうではないと思います。マスコミに取り上げられる人たちの目標がオリンピックということではないでしょうか。競技を楽しむ・競技を通じて視野を広げるという重要な部分が欠落しているのだと思います。

 今年88歳の我が父の弁です「TVで、ある有名なレスリング選手の父親がレスリングを指導している様子を見て驚いた。泣く子に罵声を浴びせていた。あれで勝って意味があるのか疑問や。私なら子供を連れて帰る。一生懸命やっているのになぜ叱るのか。指導とはそういうものではない。」

  このような暴言が許されるのも勝利至上主義だからです。オリンピックでメダルを獲得して大きなご褒美を得たいという欲望が渦巻いているのがスポーツの世界なのです。そしてそれを後押ししているのが政治です。だから、マラソンでたった1回(女性初)の優勝や、オリンピック連覇で国民栄誉賞を与えてしまう。こんな基準で人を讃えるから結果ばかりを追求し、生き方を追求しない人が増えるのではないだろうか。

  地上の星というTV番組がありましたが、国民栄誉賞とは日本国民として本当に誇らしい生き方をしてきた人に贈るべきものでしょう。世情不安定な外国において、ボランティアで医療行為を行っている人など国民に生き様を紹介するべき人は大勢いると思います。日本国民として誇りに思う人とは、競争に勝利する人ではなく人道的に素晴らしい生き方をしている人だと、私は思います。国民栄誉賞は生き方を讃えるのだから故人に与えるものでしょう。そうしたら返還という不細工なことも無くなります。 

 昔も今も、世の中は強者の論理で動いていますが、最近そのような発言を恥とも思わないで公言する輩が増えてきたのはなぜでしょうか。自己責任!自己責任!自己責任を問う前に十分にしておくことがお座なりになっている最近の政治屋の言動が気にな ります。

 (つづく)