ルールと防具を考えるA 廣畑徹(021115執筆) |
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「ルールを考える@」では、全空連ルールの経過を少し前の過去から説明し、空手のルールとしては、かなり高いレベルに到達したことなどを説明した。しかし、そのルールには大変な矛盾がある。 このページでは、全空連の試合が現在に至った経緯、そしてそれにまつわる矛盾は何か?また、それらの矛盾は、なぜ解消される可能性が少ないかなど、防具の着用、防具の進化などもまじえて考えてみようと思う。 防具着用組手における全空連試合規定の運営について(反則編) まず、下の写真を見てもらいたい。
これは、獅子塾の練習生が全空連ルールの試合で上段突きを極めた写真のコマ送りである。この写真を見て皆さんはどう思うだろうか? 結果は、この青帯の生徒の上段突きが決まり、優勝したが、全空連ルールでいえばこの突きは「反則」に取られても文句がいえない。明らかに突ききっており、相手の首が折れ曲がっている。制御できうる実力があったのか、なかったのかは別問題として、メンホーを着用していれば当てていいという規定は全空連のルール規定には一切見当たらない。おそらくメンホーのプラスチック部分が相手の顔面を直撃していることと思う。 また、この時の試合では小林誠治がメンホーをつけているにもかかわらず、顔面を突かれて前歯(差し歯)を折った。(メンホーは直接打撃用には作られていない) ルール上では、技は止め(極め)なければならないにもかかわらず、なぜこのような判定が下されるのだろうか?また、この攻撃で相手が負傷した場合はどうなるのだろうか? 寸止めをやっている人には今更、説明する必要はないが、これは何十年も前からの審判員の慣習である。ある程度の効果音、ある程度の気合、程よい間合い、残身の必要に加え「ある程度の打撃」が備わらないと有効技として認められにくいという慣習である。中段攻撃は特にそうで、また、メンホーをつけると素面の時より当り方がきつくとも有効技として認められる傾向がある。 そして、相手が負傷したり、倒れたり、血を流したりすると、一転して「反則攻撃」となってしまう。上の写真の場合でも、相手が倒れると小泉の反則となる訳で、ポイント差では勝敗が逆転してしまうこともありうる。 確かに、安全面を考え、メンホーをつけると小さい怪我は減ったと思う。つけない方がよかったとと思われる昔の空気メンホーに比べると格段の差だが、プラスチックになった部分が顔面を直撃する。そのため、鼻を折る者、脳震盪を起こす者、脳障害を引き起こす者は増えている。私は、全空連ルールよりも当ててKO制を認める試合の方が出場が多いから、当てるのは大賛成だが、攻撃の度合いにもよるが、当てないルールで当たった攻撃を認めるのはおかしいと思う。結局は 当てることを暗に認めるなら怪我をしないような防具を開発するか、着用を義務づけるようにする 寸止め(極め)ルールを標榜するなら、危険度の高い攻撃は反則とし、高度なテクニックを要する極め技のみ有効技とする ようにしないと、結局、全空連ルールは、マニアだけが注目する試合となってしまい、今後、価値のないものとなってくると思う。 確かに「極める」というのは、高度なテクニックを要する。初心者、子供には理解しにくいし、実践することも難しい。 主審、副審をしていると「ヤメッ」と大声で言える攻撃をしてくれた選手には感謝したくなることがある。子供の試合や猫のこづきあいのような攻撃を見ていると、どの攻撃をポイントとしたらいいのか分からない。「こっちのほうが優勢だからこの辺でポイントをあげようか」とか「このまま延長ばかりしていると時間をくってしまい計画通りの試合運営ができない」とか考えてしまう。子供に「極め」を説くのは難しい。 全空連の試合における反則判定のの矛盾 これら、規定と運営の間に生じる全空連ルールの矛盾や、メンホーをつけたがために怪我をするという事態は、選手や審判員にも責任がないとも言えなくはないが、根本的には全空連中央の方針に誤りがあると思う。それは具体的には 攻撃が直接、相手を打撃した場合、技として認めるか反則として認定するか、その際の基準が明確でない。 顔面防具を着用した場合と着用しなかった場合のルール運営(打撃の大小について)は明らかに異なっているが、その差が明確になっていない。 という表現で言い表せると思う。 フルコンやKO制のリングに上がっての試合も面白いが、寸止めの試合には独特の醍醐味がある。柔道では、よく技をかけなかった選手に注意を与えるが、空手の場合、相手と睨み合っている状態でも火花が散るほど戦っている。相手とのそのかけ引きはマニアをうならせる。 その面白いはずの空手の試合が一般の観衆には理解できない。「えー何で?当ってるよ、あれ反則違うの?」「うちの子顔面蹴られたけど相手のポイントになったよ何で?」などなど。 空手をやっている以上、殴られるのは当たり前であり、試合で殴られたからといって相手の反則を唱えるのは恥ずかしいところである。しかし、反則の取り方に関するルールの運営を審判の個人的判断や風習によらず、ある程度一律化して統一してもらいたいと思っているのは私だけではないだろう。 全空連の競技運営に対する要望 今後、オリンピック加盟問題等も考慮し、全空連は他組織との連携も考えていかなくてはならない。そのためにも次のとおり希望する。 有効技判定の定義と反則の定義を現状に合わせて一律化し、それを試合で実践できるように指導する。 寸止めルールを現状の運営(メンホーを着用した際は、ある程度コンタクトルールを暗に認めていること)に照らしあわし、明文化し反則が一般者にも分かりやすいように工夫する。 全空連内にコンタクトルール審議委員会を組織し、同ルールの試合を別の方面で実践し全空連の大会(全国、地区、流派会派、実業団、学生等)を開催する。 直接打撃用に作られていないメンホーを強化するか、より頑強な面防具を開発、着用する。(あまり頑強なものだと重くなり、かえって首に負担がかかるので、打撃を吸収する素材で重量が軽いもの) しかし、全空連が今のスタイル、方針を変える事はまずないだろう。その理由は、前向きに検討していくと、試合において現在のスタイルを維持することができず、全空連の独自性(剣道スタイルの戦い方と表現する)が失われ、フルコン的、日本拳法的になっていくことが分かっているからである。 Bに続く |